放課後の音楽 


「何聞いてるの?」

「……さて、何だと思う?」





私のクラスにはとても変わった子がいる。
少し近寄りがたい印象を受ける冷たい顔と瞳
でも笑ったり、話したりすると、暖かなものへと様変わりする。
彼女の声は少し低め。
彼女はいつだって透明。
安易に近付こうとしても、いとも容易く離れていってしまう不思議な子。
いつだって人の中で笑っているのに、いつだって人と一線を置いている女の子。
その瞳は何を映してるのかな?


掴みようにもまるで実体がない彼女に、私がとてつもなく興味を抱くようになった切欠は
とある日の放課後、彼女と交わした数えるほどしかない会話だった。
その日はやりたくもない委員会の会議でうんざりしながらため息をついていた。

(週末の放課後に会議とか有り得ないし…)

心の中でそっと愚痴を零す。
1時間も無駄な時間を過ごして、ようやく開放された私は人気も疎らな校舎を歩く。
週末の放課後はみんな街へと繰り出すから、校舎に残る人影は少ない。
賑やかな姿を消した校舎は少し物悲しい。
私は自分の教室へと戻りながら、そんなことを考えていた。
ゆっくりとした足取りでようやく自分のクラスへと辿り付いた時、そこに彼女がいた。
窓際の机に腰掛け、ウォークマンをしている。
時折窓の外から風が入り込み、鳶色をした彼女の綺麗な髪と真っ白な柔らかいカーテンを揺らしていく。
ひどく穏やかな景色だと思った。
よほど聴ている音楽が好きなのか、私が教室の入口に立っていることにも気付かずに小さな声で歌詞を口ずさんでいる。
柔らかで、少し掠れた、クセのある声。
薄い唇がメロディを口ずさんでいく。
この距離からは聞き取りにくいけど、彼女の口から僅かな英単語が聞こえてくる。

(洋楽好きなんだ…)

私は教室の入口にただ立ち尽くし、彼女がいる世界を眺めた。

(好きだなー、こういう雰囲気……)

広がる穏やかな世界は私にはとても心地よかった。
愛でるように音楽を聴き、口ずさむ姿はいつもふわふわと人を避けていく彼女にそっくりだった。
触れてはいけない世界をいつだって創り出している。
近付けば近付くほど遠ざかっていく彼女。
極自然に、極当たり前に、笑顔を絶やさず彼女は去っていく。

「いつまでそこに立ってるの?」

目を瞑って、彼女の口ずさむメロディを聴いていると、不意に声を掛けられた。
少し低めの彼女の声。
よく響く、とても澄んだ通る声。
私はぱちっと目を開けて、彼女を眺めた。
いつも浮かべている、あの笑顔だ。
容易には踏み込ませない雰囲気を放つ笑顔を浮かべて彼女は聞く。

「さぁ…気が向くまでかな?」

いつだって人の心を見透かしたように人をあしらう彼女に私は言う。
彼女には考えた言葉は通じない。
生きた言葉だけが彼女に届く。

「自分の教室なんだから入ってくればいいのに。」

彼女は笑う。
君が創りだした世界には足が竦んで入り込めなかったんだよ。
私が入ると脆くも崩れてしまいそうで

「勿体無くってね。」

そう言って笑う私を不思議そうに見つめる彼女。

「何聞いてるの?」

いまだにウォークマンから漏れてくる僅かな音楽。
その音の欠片は優しく単調。

「……さて、何だと思う?」

彼女は意地悪く笑う。
質問を質問で返す彼女が何だか彼女らしくて笑えた。

「洋楽。」

なだらかな英語の片鱗。

「当たらずしも遠からずってとこかな。」

そう言って、ウォークマンを私に渡す彼女。

「何?聴かせてくれるの?」

目を瞠る彼女のまさかの行動に私は驚いた。
その私のあまりの驚きぶりに彼女は苦笑した。
渡されたウォークマンを耳に当てると、耳朶に広がる甘い音楽。
優しい音色と声。
耳を掠めては捕らえて離さない、柔らかな音が耳朶を撫でていく。

「優しい曲…」

ぽつりと呟くと彼女が笑った。

「失恋の歌だけどね。」

窓の外の景色を眺めて彼女は可笑しそうに言う。

「英語、分かんないし。」

不貞腐れたように言う私に彼女はまた可笑しそうに笑った。
それでもその笑顔は私に向けられたものではなく、遠く彼方にいる白い雲に馳せられたもの。

「『たった一度の幸福は  優しいあの人を連れ去った』」

彼女の声がウォークマンをしていない片方の耳へと届いた。
介して聴こえてくる切なく甘い声とは異なる声。

「日本語訳?」

「『一晩の嵐のあとを   今でもあたしは覚えてる』」

肯定するように彼女は続けて言葉を発した。

「『ほんのり香るエスプレッソと煙草の匂いが  まだあの人を思い起こす』」

英語のメロディに合せるように彼女は言う。
唄うように、囁くように。

「『焦燥した  執着する  釈明して』」

それは切ない心の叫び

「『それでも あたしには大切なモノの一欠片』」

不意に涙が込み上げた。

「イイ曲……、好きだよ…優しい歌。」

目を瞑って流れてくる音楽に耳を傾ける。
溢れ出る英語は私には全然分からなかったが、切ない思いは伝わった。

「ねぇ…好きな人でもいるの?」

ふと問いかける。
すると彼女は一瞬目を丸くして驚いた表情をした。

(あ…今、年相応に見えた……)

しかしそれは一瞬で、すぐにいつもの笑顔に切り替わる。
空虚に向けられる慈愛に満ちた笑顔。

「まさか。私は人を好きにはならない…、一生ね。」

晴れ晴れしく笑顔を浮かべる彼女は至極綺麗だった。




月曜日、教室にきたら真っ先に彼女に声を掛けよう。
少しでも長く彼女の世界を見ていよう。
きっと何処よりも綺麗で儚い―――



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