ココロ


正直な話、
はじめは変わった人だなって・・・
実は少し怖かった。



でも、斜め後ろをゆっくりと歩いてくれて
向けてくれた笑顔は本当に優しかった。
私にはそう見えたんだ・・・
だけど・・・
その度に心の奥底が、重くなってゆくのも事実。


出口のない迷路を
全力疾走するのは
すごく辛いことだった。








10 純粋さ














芳賀君の提案で決まった週末の映画。
こんな風に出かけるのは初めてで、嬉しくて、指折り数えて待つというのはこういう時に使う言葉なんだと思った。
でも、気がかりが一つ。
私や芳賀君はともかく、二人は本当によかったんだろうか・・・。
当初は、映画を見れるという嬉しさのあまり考えもしなかった。
自分の我侭で2人が迷惑を被っているかもしれない。
そのことが夕べから頭を離れず、うきうきのはずの心もすっかり曇っていた。

「千鶴〜、私職員室呼ばれてるから先帰ってていいよ?」

早速の初仕事のようで、由美ちゃんは少し疲れた顔をしている。

「あ・・・えと、待っててもいい?」

由美ちゃんは一瞬きょとんとした後、にこっと綺麗に笑った。

「わかった。じゃあ急いで行ってくるね。」










「おっ、ちぃちゃんも相棒待ち?」

窓の外を泳いでいた意識が一気に引っ張り戻される。

「あれ、芳賀君も残ってるの?」

視界に入ってきた意外な人物に、私は焦ってなんとか返答した。

「ちぃ待ち。心優しい友人としては手伝ってやらんにゃね♪」

芳賀君はくるくると表情が変わる。
鮮やかな絵の具をちりばめたような笑顔は、私には少し眩しすぎた。

「そっかぁ。」

思い切り納得して首を縦に振ると、芳賀君はパチパチと目を瞬かせた。

「つっこみ!!」

「へ?」

「今のつっこむとこだよ!!ちぃちゃん!!」

芳賀君の訴えは真剣そのもの。

「えっ、あっ!!ごめん・・・なさい。」

「うん。つっこみは鮮度が命☆」

腕組をして神妙そうに頷いている芳賀君。

(ここもつっこむところ???芳賀君ごめんなさい。わかりません。)

「えと、映画・・・楽しみだね。」

沈黙が訪れるのが怖くて、私は取ってつけたように言った。

「もうすっげー楽しみ。授業聞いてねぇし。」

芳賀君は声を弾ませながら鞄から雑誌を取り出す。

「えぇっ!?それはちょっと・・・。」

思わず頷きそうになったのをなんとか留めて、私は恐る恐る首を傾けた。

「ん〜でも聞いててもわかんねーし!!」

あっけらかんと笑う芳賀君を見ていると、ついついつられて笑ってしまえるから不思議だ。

「あー!!!!やっと帰ってきた!」

芳賀君に倣ってドアの方に視線を向けると、由美ちゃんと高野君が呆れたような表情で立っていた。

「・・・芳賀。」

高野君の声音には呆れと疲れが多聞に含まれている。

「千鶴・・・無事?」

由美ちゃんはチラリと芳賀君を一瞥して言った。
頭の中で?マークが浮かびあがってきたので、笑顔のままで首を傾げた。

「うわぁ・・・芳村、俺傷つくわぁ〜」

「あぁ。ゴメンね?」

本当に多彩な芳賀君の表情に心から感心しつつ、由美ちゃんからの冷たいあしらいが少し可哀相でもあった。

「芳村って結構クロい?」

すると、不意に高野君が表情を和らげたので私はしばし釘付けになってしまった。
大人びた印象を持っていたのに、予想に反して彼の笑顔は屈託のない子どものようだった。

「千鶴に関してだけよ?」

由美ちゃんの言葉で、私は我に返った。止まっていた周りの世界が息を吹き返す。
気付けば三人の世界が成立しており、私だけが時を逸した形になっている。
なぜ三人が笑っているのかさっぱり分からず、私はオロオロと三人の顔を見渡していた。

「っと、そういえば芳賀何の用だよ?」

「あぁ!!!忘れてた〜!!!明日のことだよ!明日のこと!!!!」

「あぁ・・・映画な。」

今までの彼の笑顔を、見事に一掃する話題であった。

「高野君・・・顔に出すぎだから。」

由美ちゃんが嗜めるように言うと、高野君は苦笑いを浮かべてみせる。

「何時に何処で待ち合わせよっか!?」

芳賀君は相変わらずの笑顔で、身を乗り出さんばかりの勢いだ。
その姿はまさに、お散歩をねだる大型犬。

(芳賀君犬みたい・・・)

ふと脳裏に浮かんだのは、祖母の家の愛犬シロ。

「混みそうだから、朝のがイイかなって思うんだけど!!!」

(朝、ちゃんと起きれるかな。)

「空いてんだったら、何時でもいいぜ?」

(うん、そうだよね。空いてるほうがいいよね。)

「私も平気よ。」

「・・・桜井は?朝、平気なのか?」

皆の言葉に軽く頷きながら次の言葉を待っていると、不意に高野君が問いかけてきたので私は慌てて舌を噛みそうになった。

「ぇ!?・・・ぅ、うん!大丈夫だよ!!」

自分の性格を呪わずにはいられない。
三人が笑うので、更に恥かしさが募ってくる。

「じゃぁ、10時にSHIONの西口前ってのはどうでしょ!?」

芳賀君の言葉には映画を待ち遠しく思う気持ちが詰まっていて、私まで嬉しくなってきた。

「いいんじゃね?あの巨大観覧車の下な。」

「OK。」

「楽しみだね・・・!」

飛び出した声は自分が思っていた以上に弾んでいた。
そして、由美ちゃんを待っている間は心に巣くっていた不安な気持ちが、すっかりどこかへいっていたことに気付く。

(由美ちゃん高野君ゴメンなさい!!)

「じゃ、明日な。」

「いやいや手伝ってくって!な、ちぃチャン!!」

「うん・・・!!」

「悪いな・・・サンキュ。」

またあの貴重な笑顔。
くすぐったいような、うしろめたいような複雑な感情が首をもたげる。

(・・??ん??)

妙な違和感のまま隣を見上げると芳賀君が嬉しそうに笑っていたので、私も自然と笑顔を浮かべることができた。

「貴重だね。」

クスクスと可笑しそうに笑う由美ちゃんと、不思議そうに目を瞬かせる高野君。
こういう時間が愛おしいような、少し怖いような・・・






***




土曜日。

「あら、由美ちゃんいらっしゃい。」

「すいません。朝早くに・・・」

階段を急いで下りると、玄関には由美ちゃんの姿があった。

「あれ??由美ちゃんどうしたの??」

思いもよらない来訪に、驚きを隠せないでいると由美ちゃんは綺麗すぎる微笑を浮かべた。
なんだか少し、背筋が冷えたような気がする・・・。
部屋に入ると、由美ちゃんはバックの中からポーチを取り出し何やら準備を始めた。

「あら、由美ちゃんじゃない久しぶり〜。」

振り返ればドアから姉が顔を覗かせている。

「あ、千春さんお久しぶりです。あの・・・ちょっと手伝って頂けませんか??」

姉は、由美ちゃんのポーチに気付くと真意を悟ったのか由美ちゃん同様の笑顔で頷いた。
二人の背後に何やら不穏な気配を感じるのは、私の気のせいだろうか。

「うわっ、睫毛長!!」

「何このつるつるほっぺ!!」

近すぎる二人の顔が怖い。本当に怖い。

「う〜・・・ま、まだですか??」

先ほどからほぼ1分間隔で聞いているこの質問。答えはもちろん・・・

「「まだ!!!!」」










9時50分、SHINON西口
慣れないメイクに、肌が引きつる。
あの後、問答無用でメイクを施された顔に、私は指で触れた。

「大丈夫。可愛いよ〜千鶴♪」

隣に立つ由美ちゃんは、刺繍のあしらわれた黒のワンピースに華奢なカーディガンを羽織っていて、相変わらずモデル顔負けの美人さんぶりだ。

(由美ちゃん・・・説得力ないよ・・・)

「・・・・・・あ、由美ちゃん・・・」

「ん?」

「あの、ごめんね??」

由美ちゃんは驚いたように目を見開いている。

「由美ちゃんたちの都合も考えずに、あたし・・・」

言葉の途中で、後頭部に軽い衝撃。
反射的に頭を押さえて見上げると、由美ちゃんの呆れきった顔が飛び込んできた。

「ま〜た余計なこと考えてると思ったらそんなこと考えたの??本当に嫌だったら来ません!!わかった!?」

「う・・・え?でも・・・」

もうこの話は終わりと言わんばかりに由美ちゃんは明後日の方を向いている。

「あ!!高野君。」

由美ちゃんの言葉につられて視線を巡らせれば、私服姿の高野君の姿があった。

「悪ぃ!」

時計を見れば9時55分。にもかかわらず謝る高野君の誠意は好感の持てるものだった。

「あとは芳賀君だけだね・・・」

提案者である芳賀君の姿はまだ見えず、私は控えめにいった。

「あーあいつ遅れてきそう・・・。」

顔を顰める高野君に、由美ちゃんが同意をみせる。

「そ、そうなの?」

「・・・賭けるか?」

高野君は悪戯を思いついた子どものような顔で言う。
私はぐっと息のつまるのを感じた。

「ちょっと・・・私の可愛い千鶴を苛めないでよね。」

「冗談ですよ、・・・っと約束の時間が過ぎたな。」

由美ちゃんの言葉に、私は人知れず安堵の溜め息をついた。

(・・・・あれ?)

「やっぱり遅刻か。」

明確に表すことはできないが何やら自分の中に再び言い知れない違和感を見出してしまったような気がする。

(・・・なんだろう??・・・まぁ、いっか・・・)

「悪い・・・!!!!!ちょっと遅れた!!!!!」

小走りにやって来た芳賀君の声は、教室同様大きく響いて、道行く人がちらほら振り返っていった。

「ま、予想してた通りだし・・・。それより早く行こうぜ?」

「人多くなってきたもんね。」

由美ちゃんは頷きながらも、ふーっと軽い溜め息を一つ。

「じゃ、行こうぜ〜♪」

芳賀君はやって来た勢いそのままで映画館に向かって歩き出した。
私と由美ちゃんはその半歩後ろをついていく。更にその半歩後ろに高野君が続く。
朝早いとはいえ、SHINONはカップルや子供連れ、学生たちでにぎわっている。
想像以上の人の多さに、私は呑まれそうだと思った。
しかし、人と肩がぶつかるなんてこともなく、以外とスムーズに歩くことができた。

「高野君、歩くの意外とゆっくりだね。」

斜め後ろを歩き続ける高野君を見上げながら、私は正直な感想を述べる。
すると、一瞬の沈黙の後、隣で由美ちゃんが楽しそうにクスクスと笑い出した。
高野君は少し困ったように苦笑している。

(私、また変なこと言っちゃったかな??)

「千鶴、千鶴。わざわざゆっくり歩いてくれてるだよ高野君は。」

由美ちゃんはなかなか収まらない笑いを噛み殺しながら、言い聞かせるように言う。
それでも、私は言葉の意味を理解できず、曖昧に小首を傾げることしかできなかった。

「芳賀が前に、俺が後ろにいた方が歩きやすいだろ?」

頬を指先で掻きながら、高野君は複雑そうな表情で口を開く。

「人ごみの中、わざわざ人の波が押し寄せないように歩いてくれてるんだよね?」

前を歩く芳賀君と高野君の間で視線を行き来させ、私はようやく意図を理解した。

「そ、そうなの?・・・ごめんね?」

なんだか申し訳なくて、私は慌てて謝罪した。

「いや、それよっかしっかり前見て歩けよ。」

「でも、さっきから思ってたんだけど・・・高野君て人避けるの上手いね。」

(・・・避け・・・る??)

ふと頭を過ぎったのは教室の風景。

「別に。・・・バスケやってるからじゃないか?」

なんだか言葉がうまく消化できなくて、胸の中に大きなつかえができた。
どうしてこんなに気になるんだろう・・・。
一瞬、一瞬だけ、高野君の表情に目には見えない影が差したような・・・
そんな気がしたんだ。






人ごみがどんどん小さくなっていく。
エレベーターという、切り取られた世界。
一歩踏み出すと、映画館特有の静けさと閉じ込められた空気に包まれた。

「じゃ、チケット買って中入ろうぜ♪」

芳賀君の語尾には、見えないけれどたくさんの音符が刻まれている。
中に入ると、半分以上の席が埋まっていたものの、後ろの方はまだ空いていたためそこに決定した。

「後ろの方、空いててよかったな〜♪」

階段を上りながら、芳賀君が振り返る。

「ホントな。」

席順は奥から由美ちゃん、私、芳賀君、高野君の順。

(あ・・・れ??)

「って、ちぃ!!!何で1個開けて座るのさ!?」

「煩いって!何が哀しくて男同士隣りに座らなきゃいけねぇんだよ!?」

隣の空席に鞄を置きながら、高野君は眉間に皺を寄せる。
不服そうに口をへの字にしていた芳賀君だったが、高野君の言い分に納得したのか一緒にポップコーンと飲み物を買いに行くことになった。

「お、サンキュ。」

なんとか落とさずに抱えてきた飲み物をみんなに配る。
そして、席に着こうと腰を屈めたとき芳賀君がにっこり笑っていった。

「な、ちぃチャン席交替しよー?」

不意をつかれて、私はポカンとした表情のまま止まった。

「はっ!?お前、何言ってんだよ?」

「だってーちぃ男の隣りは嫌なんだろう?」

(は、芳賀君??そういう問題じゃ・・・)

「ちぃチャンの横ならいいじゃん♪」

何か言わなければと、口をパクパクさせているとあっという間に座らされてしまう。
4人並んで座ると、芳賀君は心底満足そうに頷き、高野君は更に眉根を寄せて芳賀君に恨みがましげな視線をおくった。
どうしていいのかさっぱり分からず、私は物凄く申し訳ない心境で視線を右往左往させることしかできない。
隣で洩れた溜め息が、耳に残る。
飲み込んだアイスティーが熱い喉をゆっくりと下っていく。










スクリーンの中に、少年と少女の世界があった。
映画が始まるやいなや、少女は死の病で命を落とす。
予想もしなかった不意打ちに、心が大きく揺らいだ。
スクリーンの中の世界とは分かっていても、自分の意思とは関係なしに引き込まれていく。
喉が、目頭がじんわりと熱をもつ。
スクリーンの中の二人が歪んで、おぼろげになっていく。
乾いた頬に、温かいものが伝う。
一粒生まれると、後は工場の大量生産ですといわんばかりにポロポロ零れだす。
しばらくすると息がつまって、吸い込めば静寂に小さな穴があく。

(死んじゃ駄目だよぉ〜)

思わず洩れそうになる独り言を抑えるべく、勝手に左手が口を覆っていた。
私の全神経は、目の前の二人に注がれていて、隣の彼の様子に気付くことはなかった。








それでもこの日感じた違和感は
決して私の気のせいなんかじゃないよね?
掴めない、掴みたい・・・
その意味を知りたくて、私は思いっきり両手を伸ばすんだ。
だけど、少し怖くもある。
足を踏み出せないのは・・・私に足りないものが多すぎるから。
きっと・・・そうなんだよね。


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