ココロ



あの時の澱んだ笑みは何だったんだろう…。
そう考えて気にするのは
まるで正反対の彼女をすごく羨ましかったからなのかもしれない。
だからこそ、距離をとりたかったのだ。
近付いてしまえば、心に溜めてきた物が堰を切ったように圧し流れてしまうから。









07 映画











桜の花弁も散り、新緑の季節が迫ってきた4月の終わりのこと。

「早いな…。今日で4月終わりじゃん……。」

誰もいない朝の教室。
俺は朝練のない日は、今日のように誰もいない教室で朝を満喫した。
今日も時刻は7時を少し過ぎたくらいで、本来の登校時間まであと2時間も余裕がある。
俺は自分の席に鞄を置くと、定位置の窓際の席に座った。
窓の外に広がる広い校庭の脇に添えてある木々に目が行き、今日で4月が終わりだったことに気付く。

「早ぇ……。」

いつものように窓に頭を預けて襲ってくる眠気に身を委ねる。
不思議なことに、この位置は寝心地が良い。
朝早くに来ても俺は大抵こうやって寝てしまって、芳賀が登校して大声で俺の名前を叫ぶまで爆睡する。
文字通り、爆睡だ。
ぼんやりとしてきた意識の中で、1ヶ月の出来事を振り返る。

芳賀アイツがやたら出てくんのが癪だよな…)

何を思い出しても芳賀の姿が浮かんできて、俺は眉間に皺を寄せた。
芳賀(というか、真田や五十嵐なんかもなんだけど)が出てこないことといえば、部活バスケしている時くらいだ。
そして、あいつらの次に浮かんできたのは…

「桜井…か、」

隣りの席である桜井だった。
入学間もない頃、桜井が朝早くやってきて会話をして以来、俺は桜井と会話をしていない。
避けているわけではない。
元々大人しく、唯一の友達といっても過言ではない芳村としか喋ってない桜井とは会話をする機会なんてやってこないのだ。

(別に喋りたいわけじゃないし…)

浮かんでは消えていくとりとめのない事を思案しているうちに、時間は過ぎていく。
時計は8時を差していて、もうすぐ煩い連中・・・・が登校してくる時間だった。
ガラッ
大きな音が響き渡って、俺は苦笑した。
振り返らなくったって誰が来たのかすぐ分かる。

「ちぃ〜っっっ!!!!!!!!」

(ほらな。)

絶叫
それは、鼓膜が有り得ないくらい振動する大きな声。
毎朝、毎朝、毎朝、毎朝。
飽きないのか…コイツは。

「む…無反応……ッ!!!」

特に振り返ってあいさつを交わすなんてこともなく、俺は窓に頭を預けて目を閉じる。
俺は、まだ眠いんだよ…。
色々考えに耽ってたせいで、上手く覚醒しない俺の頭。

「ちぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ…!!!!!」

真田や五十嵐のゲラゲラ笑う声が聞こえたかと思ったら、地を這うような芳賀の低い声が聞こえた。
と、同時に近くに気配を感じた。
バッ…!
俺は慌てて立ち上がった。
寝ていた俺が急に音を立てて起き上がったもんだから、真田も五十嵐も…何より、俺のすぐ目の前で俺に手を伸ばそうとしていた芳賀がキョトンとした顔で不思議そうにしていた。

「び、びっくりしたぁ……!!」

まるで悪戯がばれた子供みたいに、ビックリする芳賀。

「おぃ、ちぃ!どうしたよ?」

本気で驚いている芳賀の姿を見てゲラゲラ笑っている五十嵐の横で、真田が心配そうに聞いてきた。

「…いや、何でもない。寝ぼけてたわ。」

そう言って俺は「あはは」と笑う。

「へぇ〜。何か意外。」

俺の答えをどう受け取ったのか、真田はそう言って笑った。





何で咄嗟に嘘ついたのか分からなかった。
寝ぼけてた?

芳賀たちと笑っている俺の心臓は、けたたましい音をたてていた。












「ちぃ、ちぃ!!」

2限目の授業が終わり休み時間になると、後ろから何故だかウキウキ声の芳賀が俺の名前を呼んだ。

「なんだよ?」

俺が後ろを向くと、キラキラした目の芳賀。

「ジャーン!!!」

そんな在り来たりな効果音と共に現れたのは、雑誌だった。

「……悪ぃ。話が全っ然、わかんねぇ〜」

ニコっと笑ってズバっと切り捨てる。
いつのまにかやってきた真田と五十嵐が腹を抱えてケラケラ笑っている。

「ちぃ、最近クロくなったよな!」

「腹いてぇぇぇぇぇぇぇぇ…っ!」

うっすら涙を浮かべて爆笑している真田と今にも笑い死しそうな五十嵐。

「映画だよ!EIGA☆」

「何だよ、その最後の奇妙な発音。」

「英語」

「カタコトな日本語だっ!」

「……っ!!」

目を真ん丸くさせてあからさまに驚いたという表情をする芳賀。
そんな芳賀を俺は冷めた目で見つめてため息をつく。

「最近、驚きのリアクションがワンパターン化してんな…お前。」

「ひぃ〜っ!!!!酷い!!!ちぃったら何だって俺にそんなに厳しいのさ!?」

くすん…と萎れた芳賀。
だから、お前の泣き真似気持ち悪いってば。

「甘やかしたら直ぐ付け上がるから。」

「はぅ…!!俺の…ガラスのハートが粉々に…。」

オーバーなリアクションを無駄に付けて、芳賀が胸に手を当てている。

「そんな脆いものいっそ、なくなってしまえ。」

ニコっと笑みを置き土産に、俺は芳賀のいう自称ガラスのハートを粉々に…どころか粉砕してやった。

「…くすんっ、俺負けない!」

「頑張れ〜♪」

一通り笑い終わった五十嵐が軽いエールを送っていた。

「と、いうわけで!」

「どういうわけだよ?」

「俺らが出会って1ヶ月記念スペシャル☆映画でもっと仲良くなってしまおう大作戦!!!!」

あ、無視しやがった。
わぁ〜☆と一人で盛り上がる芳賀に、俺はため息をついたのだった。
芳賀が手にしている雑誌は、今テレビで話題となっている人気の映画が表紙を飾っていた。

「「…叶わない約束…」」

その雑誌にデカデカと書かれた映画のタイトルを小さな声で読むと、誰かの声と重なった。

「「…え?」」

あれ?っと思い、顔を上げるとまたも声が重なる。
まだ幼いソプラノの声…

「あれ?何々??ちぃチャンもこの映画興味あるの?」

芳賀が目を無駄にキラキラさせて、嬉しそうに顔を輝かせる。
『ちぃチャン』
芳賀がそう呼んだのは、隣りの席で芳村と雑談していた桜井だった。

(千鶴だったか?下の名前……。あぁ、だからちぃチャンなわけか…。)

何となく覚えていた桜井の下の名前を思い出し、芳賀の付けた愛称に納得する。
と、同時になんだか笑えた。

「ちぃチャン?」

真田が首を傾げている。

「下の名前、千鶴だろ?」

俺は考え込む真田にケラケラ笑いながら教えてやった。すると、納得いったようで「なるほど♪」と零していた。

「芳賀くんも好きなの!?」

「うん!!!!絶対、泣けるよな!?」

と、そんな俺らを他所に映画の話で盛り上がる2人―――
桜井はいつものような大人しいのが嘘みたいに、積極的に話し、よく笑った。

(そんなに好きなのかよ…)

ヒートアップしていく2人を呆れたように眺めると、俺は雑誌のページをペラペラ捲ってその映画のところを開いた。
『その日、僕らは永遠なんてないってことを知った。』
映画のタイトル脇にあるキャッチフレーズのようなもの。確か、この映画は悲恋だった気はする…。
俺は特に興味が沸かなかったので、その雑誌を閉じた。

「あ!!!じゃぁ、何だったらみんなで見に行こうぜ!!」

突然、芳賀が大きな声でそう言った。

「俺とちぃとちぃチャンと芳村の4人でどうでしょ!?」

名案だ…!とふざけた事を言って喜んでいる芳賀に、突然の誘いに戸惑いながらも映画が見たいのか嬉しそうな桜井―――
そして、

「「はぁ?」」

不服な者が2名。

「却下。俺じゃなくって、五十嵐か真田にしろよ。俺、興味ねぇ。」

「え?俺、来週の日曜日に彼女と見に行く約束してるからパス!!」

彼女のことを考えたのか、へらっと嬉しそうに笑う五十嵐。
その締まりのない顔は笑いを誘う。

「俺も、先週彼女と見に行ったからパスな。悪いな、ちぃ。」

そう言って苦笑する真田。

「へぇ〜2人とも彼女いるんだ。真田は分かるけど、五十嵐は意外だなぁ」

「この裏切り者めッ!!!」

「まぁまぁ…その映画、結構面白かったぜ?ちぃも見てみろよ。」

宥めるように芳賀に言い、真田は俺に勧めてきた。

「由美ちゃん…嫌?」

一方、先程俺と同じように不服の声を上げていた芳村は…

「…はぁ。…いいよ。見たいんでしょう?その映画」

しょうがないと言って笑う芳村。
何処かの金融業のCMに出てくるチワワのような瞳で懇願され、あっさりと堕ちてしまっていた。
この逃げられないような状況に、俺はただ、ただ、事の原因を作り出した芳賀を恨むばかりだった。

「ちぃ…」

だぁ…ッ!!!!!!!!!
桜井の真似するな!

「分かったよ…行くよ。」

俺は諦めたように大きなため息を一つ。
俺のその言葉に、桜井と芳賀が嬉々とした表情で喜びを分かち合った。








拭いきれない不安と
溢れ出てくる疑問でいっぱいの俺を、
まるで陥れるように約束の週末はやってくる―――。


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